今年も実施中
今年も戦争と平和の資料館ピースあいちで沖縄に関する写真展を開催してます。タイトルは…
「辺野古・高江のたたかい〜本土では見えないほんとうの姿〜」
です。
ほぼ毎年この時期に開催しているこの写真展。今年も辺野古のキャンプシュワブのゲート前で座り込みしている方々の協力を得て開催してます。
特に辺野古での座り込みについては昨年、心無い報道により、沖縄ヘイトに拍車がかかり、本土ではきちんと報道されなくなっているのが現状になっています。
その報道がされていた昨年はこの写真展の準備もあり、現地へ足を運んでいたのですが、その歪んだ報道とそれまでの工事の強制とが混ざったことでより座り込みをしている方々のたくましさなどを垣間見ることができました。
5月29日(火)から7月7日(土)までピースあいち二階にて、開催しています。ちなみに今回は多くの写真を展示する関係もあり、不定期での展示替えも実施する予定です。
見る度に変わる展示になりますので、ぜひ見に来て欲しいと思います。
そして、6月2日(土)にはピースあいちにて13時半から『標的の島 風かたか』の上映会とトークイベント、23日(土)には沖縄慰霊の日の講演会と朗読イベントを開催しますので、こちらも合わせてどうぞ。
ブログ久々更新…。
あえての3.12
東日本大震災から7年。今回は3.11には間に合いませんでしたが、ブログを更新したいと思います。
3.11の前日、俺は自分の関わっているピースあいちという資料館での企画を行いました。
「福島原発事故ー避難者の報告と訴え」というトークイベントです。ここでは、福島原発事故により、福島から愛知に避難をした人を呼んで話をしてもらいました。
そこでは二人の方に話をしてもらいました。一人は福島市から避難してきた教師をしていた女性の方、もう一人はもともと福島原発の関係施設で働いていた、小高から避難した男性の方でした。
女性の方は福島原発から離れていた福島市で被災したということから、徐々に事故の影響が現れ、避難に至る経緯を中心に話をしてくださいました。避難するとなった時に「避難できるところがある人はいいよね?」と同僚に言われたこと、そして子どもたちの未来のために避難を選択したことと、日常生活から一転した生活のことを知りました。
男性の方は福島での地震、原発事故によって発生した「行き先の決まらない避難生活」の大変さから、除染にまつわる杜撰さや現状について話されていました。現地へ行って、その話を聴いていたのもあって、より根深い問題になっているということを改めて痛感しました。
それよりも気がかりなのは福島や震災への関心具合でした。
同じ会場の別角度から撮った写真ですが、上のものとはまるで雰囲気が違うと思います。
宣伝不足や講演企画だけだったというのもありましたが、かつての福島関連企画に比べて参加人数は減っているなと。
もっと工夫する必要はあると思いますし、少しでも関心の持ってくれる人がいることもいいことではあるのですが…。
その後、その足で大阪京橋で行われたデモにも参加しました。
森友学園問題の書類改ざんで急遽開かれたデモらしいですが、多くの人が集まっていました。「誰のための政治やねん」が強烈に印象に残りました。
国税庁長官佐川氏が辞任したことでまた風向きの変わった政局に柔軟に対応する大阪の関心の高さにも驚きました。
橋下政権以降、大阪はあらゆる面で苦境、劣化、そして差別が横行するようになりましたが、そんな中でもこれだけの人たち。
今回の講演企画とデモ参加を通じて活かせたらいいなと思います。
福島のいま②〜飯館村の今〜
そこは今、「原子力」に依存しているかのような現状がありました。
避難指示区域だったのが2017年3月に解除されつつある飯館村には多くのフレコンバッグが置かれたままです。これは、フレコンバッグの処理をすると得られるという交付金を飯館村が利用しているからだと言われています。
フレコンバッグの処理で得た交付金は、道の駅や学校などの、いわゆる「ハコモノ」に使われています。それぞれ何十億もかけているものばかりです。
しかし、避難解除がされつつあるにも関わらず、飯館村にいる多くの人は市の職員か、建設業関係者ばかり…。
今後、交付金がなくなった場合、こういった政策をどうやって担うつもりなのでしょうか??原発事故があって、再稼働云々やフレコンバッグの処分場が問題になっていますが、こうした「フレコンバッグ依存型」の行政もあるのです。
かつてのように日本一の農村には戻れないかもしれないです。しかし、その「フレコンバッグ依存型」から脱出しようという兆しも見られました。
除染した土地は農地として使うのは難しいため、「太陽光発電所」として活用もされているようです。
復興と一言で言っても、それでは片付けられない現状を飯館村で見たように思いました。