知らなかった館山の話①
相変わらず更新しないままでしたが、今日から何度目かの更新の決意です(笑)
さる3月下旬に房総半島を縦断して、館山に行ってきました。館山に行ったからって単に新鮮な魚を満喫にし行っただけじゃないですよ。(実際、昼ご飯はそうでしたが・・・)
館山に行って初めて知りましたが、実は館山は日本“本州”で唯一の、米軍直接軍政が敷かれた地でした。沖縄以外にもあったんですね。
軍政が敷かれたのはわずか数日だったそうですが、この数日の事実はこの地に来なければ知らなかった事実だったと思います。
しかし、なぜ米軍は東京や沖縄だけでなく、この館山で直接軍政を敷くようになったのか?
館山には戦中まで、大きな海軍航空基地やそれに関する施設がたくさんあったためと考えられています。そんな館山のエピソードの分かる施設の話をこれから少しずつしたいと思います。
<赤山地下壕>
この赤山地下壕は、15年戦争が始まったころからすでに機能していた、陣地壕だったそうです。本州で有名な地下壕と言えば松代大本営の陣地壕だと思いますが、それの先駆けだったそうです。
日本軍の陣地壕ということで、
発電機などの機械を置いていた跡や、
通信用の電話?の置いてあったところ、
五右衛門風呂があったり、
旧日本軍の、奉安殿*1
があったりと・・・
日本軍が活用することを見つけられる壕になっていました。
ちなみに、この壕は手で人力がメインだったとも言われています。
この地下壕は直線ばかりになっているので、トロッコによる運搬が難しかったそうです。また、ツルハシで掘った跡と壕の作り方が分かるところがあって、天井に向かって掘った後に、地面を掘り深めた手順だったのが見受けられます。
いままで、沖縄のガマばかりだったので、こうしたタイプの地下壕は初めてで勉強になりました。
しかし、こんなのはまだまだ序の口。館山には戦争時代の痕跡が残っていました。
②へつづく。