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ぴーすみゅーじあむへの足跡

このブログは自分の旅行した先で行ってきた戦争と平和についての博物館のことや自分の知った戦争と平和についての博物館の情報についてアップするマニアックなブログです。

知らなかった館山の話 ファイナル

昨日、9月19日。とうとう安保法案が強硬な形になってしまいました。((((外から見てても、専門家から見ても、正式な手続きをしていないということなので、あえて「成立」という言葉は避けてます。))))

本当は19日中にアップしたかった…。

 

それでも、コツコツと平和学習の題材をアップしていきます。前回までの館山の話もこれで最後です。実はこの「館山まるごと博物館」では、確かに戦争時代の遺跡も多いのですが、実はそれ以外の時代の遺跡や歴史についてもガイドをしてくださいます。

このときは、自分の都合で平和学習にまつわることをメインにしていただきましたが、いくつか見れたところもあったのでそれも合わせて紹介します。

 

 

(1)大巌院*1

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この石塔は1624年に建立されたもので元々の意味は、豊臣秀吉朝鮮侵略で犠牲になった韓国朝鮮の人々を慰霊するためのものでした。しかし、それならば「わざわざこの日本、しかも館山に建立する意味は?」という疑問がわくと思います。

この石塔が立てられた1624年というのは、朝鮮通信使の開始になった年であり、同時に秀吉の朝鮮侵略から三十三回忌という年に当たります。しかも、その朝鮮通信使の滞在になった地が実は館山だったこともあり、この寺の境内に建立されました。

 

この石塔の、四方にはそれぞれ文字が刻まれており、「和風漢字」「中国篆字」「印度梵字」「朝鮮ハングル語」で「南無阿弥陀仏という意味が込められた文になっています。

 

 

 

これらのことから、館山のガイドでは、「いろんな国の平和を国境を越えて願う石塔」という位置づけがされるようになりました。

 

 

(2)小谷家邸宅

小谷と言うと個人的には別の方を思い浮かべたのですが(笑)、全く関係なかったですね。

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安房という土地は、青木繁の「海の幸」という作品が描かれるなどの芸術の土地ともされているそうです。この、小谷家邸宅はその中で、画家の方のメッカとされている家で、実際に多くの芸術家が滞在して作品を創ったとされています。ここもまた、館山市の指定有形文化財として登録されており、ガイドの場所の一つとされています。

ちなみに、館山市自体も海洋関係の産業が昔から存在していたそうですね。それもあって、青木繁さんもそれを描いたのだと思います。

 

(3)安房文化遺産フォーラムの建物

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この建物は現在「安房文化遺産フォーラム」の建物になっていますが、これもまた近代から存在する建物で、以前は地元銀行の支店の建物だったそうです。そして、この建物は館山のための尽力した「小高熹郎(おだかとしろう)」という方を紹介するための施設だったようです。それが、「館山まるごと博物館」の発足とともに「安房文化遺産フォーラム」の建物となりました。現在も展示していますが、基本的にスタッフがいる時しか見れないです。

 

そして、忘れないようにこれも紹介。

館山海軍砲術学校跡地です。

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以前からあるように館山は海軍基地の地でした。そのため、その海軍の学校もすぐそばにありました。当時では最新であった兵器を使いこなせるための学校として存在し、落下傘部隊通称「パラシュート部隊」の訓練指導の場所もありました。

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このほかにも食堂跡?も残っていましたが、現在では別荘地が増えたことでだんだん面影は減っているそうです。

 

 

以上が自分が見せてもらった館山でした。町全体で歴史を保存するという新しい博物館の形を見せてもらいました。

安保法制の話はまたおいおい・・・。

*1:ちなみにこの寺院には鎌倉時代ごろの、写経用に使われたとされる経文の凸版があります。文化財に指定されています。