意外と知らない三島の話
気がつけば冬間近。
沖縄では玉城デニー氏が翁長さんの跡を継いで県知事に就任したにもかかわらず、安倍政権は辺野古工事を再開という、反省だからか馬鹿の一つ覚えのような繰り返しをする。
その安倍政権は核兵器反対条約や縮小に対しても消極的であり、むしろ原発再稼働や原発輸出を推進するという、とても被爆国とは思えない振る舞いをしている。
このままでは、日本が核の加害者になる日も…なんてことになりかねない。それを防ぐには原点回帰、地域や市民による草の根による核兵器反対の声を上げるしかない。
それを市町村で表明するのが今回の話のキーになる、「非核平和宣言都市」です。
その、「非核平和宣言都市」発祥の地?の一つが静岡県三島市という話があるようです。その宣言は三島市のホームページでも見れますが、その宣言がされたのは「昭和34年12月21日」と、戦後15年ほどのことです。
つまり、戦後の混乱期から成長期にかかるところですでに三島市はその宣言をするほどの平和への想いがあったことになります。
そして、約70年を経てもその想いに変わりはないようです。
毎年夏に三島市では、「平和のための戦争展」を開催しています。そこでは、三島の人たちが戦争や平和のことを題材にした展示をしています。
その中で、三島市と戦争を結びつける話がいくつか出てきました。
特に驚いたのは、韓国併合後の韓国皇帝の皇族が三島に住んでいたという話です。現在は庭園となっている「楽寿園」、そこがかつては韓国皇帝皇族の住まいでした。そして、伊豆地方がその別邸にもなっていたと。
日本という土地である限り、15年戦争と全く縁がない土地はないのだなと痛感させられました。
この戦争展では、日本大学の国際情報学部の学生の展示もありました。
奇しくも戦争展の時期は例のアメフト問題も話題になっていた時期だったのですが、その後その学生を指導していた先生ともお会いしましたが、日本大学では珍しく?平和や戦争について考えた講義や実習をしている先生でした。専攻はロシア文学や日本文学、ロシア文化に関する学問でした。
そのゼミでは毎年ロシアへの留学をし、ロシアやその周辺の国々に関することをテーマにした報告書にしたり、講演会を開いたりしているようです。
過去のテーマの中にはチェルノブイリ原発事故のことだったり、はだしのゲンのことだったり…
戦争と平和をテーマを主軸にしているわけではないと言っていましたが、「人々の連帯・絆」を変わらず取り上げているとも言っていました。
まだまだ掘れば掘るほど出てきそうな三島。また調べてみたいと思います。