3.11間近①~回想録・福島再訪
気が付けば3.11の被災と原発事故から8年になる今年…。
今年も福島のことをテーマにしたことをしたく、福島を昨年11月に訪問しました。今回は、話聞くことをメインにしたため、訪問したのは飯館村中心。しかし、飯館村は悪い意味で変わっていなかった…。
※ここで撮影している写真はガイドの方に車を運転してもらって助手席で撮影、もしくは車を降りて撮影しています。
このブログでも2018年2月に「福島のいま②~飯館村の今~」で取り上げていましたが、飯館村は「フレコンバック」の村となっています。その処理で発生したお金を「復興」に充てているわけなのですが、そのフレコンバックの処理に利用しているトラックは新車ばかりが投入されているらしいです。写真ではそれが確認しづらいですが、反対車線からくる車は明らかに新しめのトラックばかりでした。
避難解除になった飯館村*1ではそれに先駆けすぎた、ハコモノ行政が進んでいるという話をしていましたが、そのハコモノ行政で建てられた道の駅はいまだに止まる車よりも、トラックの多さの方が目立つ感じでした。
その裏は…。
奥に家屋が並んではいるものの、更地が目立っています。ガイドしてくれた人曰く、「復興や除染も完全ではないのに避難解除だけして順序が違っている」と。
確かに「復興」とは名ばかりなのが、飯館村へ向かう道中や飯館村を見ているだけでもわかります。
本来ならば数値が表示されてはおかしいのですが、いまだに数字は表記されている…。しかも、この放射能測定器は数値が「過少表記」らしいので、少なくともこの空間での放射能の数値は表記されている数値以上なわけで…。
とはいえ、まったく「復興」していないわけではないのでそれも忘れずにいたいですね。政府の見解は全くの見当違いも甚だしいけど…。