2021年回想録・新春 二面性のある?和歌山の戦争の記憶継承・前編〜平和と美術編〜
戦後77年の8月15日を超えてしまいましたが、これから溜まりに溜まった、自分の働いていた土地で見つけてきた、戦争と平和に関する施設などのことを「回想録」という形で公開していこうかなと思います。
2020年年末、2021年年始と、和歌山で仕事をしていた自分は、恒例のように戦争と平和に関する情報のある施設も訪れてました。
そこで、和歌山には戦争と平和について、二面性のある継承がされていることに気づきました。
今回はその第一弾。
キーワードは「美術と平和」です。
これに触れるきっかけになったのは、鯨の町として有名な、大地町にある、この施設。
石垣栄太郎記念館。
この施設は、明治後期から戦後まで渡米して画家生活していた、大地町出身の画家「石垣栄太郎」を紹介している施設です。
現在は町が運営してますが、当初は妻である石垣綾子さんが個人で建設に至ったものです。
この施設で紹介されている石垣栄太郎氏は、画家として学びながらも、社会主義の運動に携わた片山潜氏といった政治運動の方たちとも交流を持ち、その作品も社会問題に関わる作品が多いというのも特徴があります。
そして、このブログで紹介するとなれば、戦争や平和関係のものがあるわけですが、石垣栄太郎氏は戦後直後に被爆地のヒロシマを描いています。
しかし、その当時、石垣栄太郎氏はアメリカに在住、現地に入っておらず、なんと見聞した「ヒロシマ」を想像して描いたというのです。
タイトルはまさに
「原爆被災の図」。
写真で見せるわけにはいかないのですが、その絵の画風は、原爆の図で有名な「丸木美術館」のものと似ています。
(写真は旧広島平和記念資料館のきのこ雲)
原爆により降り出した黒い雨を思わせる黒の描写、被爆して黒くなっている遺体、焼け爛れた人の彷徨いぶりと炎の様子…
そんな作品を他者からの見聞のみで描いたとなれば、どれだけの情報収集と想像力を駆使したのかと驚かされます。
もしかすると、最近いろんなところで始まってる「戦争体験者の証言を継承する」の先駆けなのかもしれません。
ただ、実は石垣栄太郎記念館にはその「原爆被災の図」以外に展示されている絵画はレプリカです。これは先程記述した、記念館建設の際にその資金を得るために石垣栄太郎氏の作品が売りに出されたためです。
その作品の中の一部が、和歌山県立近代美術館に所蔵されています。そこにはさらに石垣栄太郎氏とは別にアメリカで活動していた画家、「ヘンリー杉本」という方の作品も所蔵されていました。
この方も戦時にはアメリカにいたのですが、太平洋戦争になってから収容所に収監され、そこで描いたという収容所生活の作品が話題になった方です。そして、この方も石垣栄太郎氏と同じく和歌山出身で、渡米して画家として活躍。
一部の人たちとはいえ、和歌山には戦争や平和に関する発信をしていく人がいる…
それが一部ではなかったことを自分はこの後、さらに実感することになりました。
後編に続く