2021年回想録・新春 二面性のある?和歌山の戦争の記憶継承・後編〜日本の継承の痕跡を辿る〜
2021年の新年が明けてから、また時間をかけて和歌山の戦争や平和に関する施設を回ろうと思った矢先、自分の働いてる近くにこんな公園があると判明。
この公園ができたのが2015年とのこと。これは明らかに戦後70年を意識してる?と思い、足を踏み入れてみると…
海の特攻用兵器・「震洋」専用の特攻基地の跡地。
日本軍が戦闘機で特攻飛行隊を作ったように、日本軍は海からの特攻をする軍隊を組織しており、その機体が「震洋」でした。
たしかに和歌山は海沿いであり、考えてみれば日本軍の関連施設があってもおかしくない。
そしてかつて訪れた千葉の館山も航空基地があった関係でその痕跡がありましたが、まさか和歌山の自分の働いていた所の近くにあろうとは…
ご丁寧にその震洋を説明する施設も。
小さな施設にしておくにはもったいない、貴重な震洋とその基地があったことについて分かる施設で、やはり戦後70年を迎えたことで作られたようでした。
こうした特攻基地を作っていたということは、8月15日で降伏しなかった場合、どれだけここから震洋が発進され、どれだけの若者の命がさらに犠牲になっていたことか…
と思うと、そのことをきちんと継承する動きがあるのは貴重だなと思いました。
とはいえ、元々、和歌山にはこの施設とは別に昔から「平和資料館」があり、それを訪れる道中でこの震洋の資料施設に立ち寄ったのですが…
さらにその道中にはこんなものが。
無縁慰霊供養塔。
これは身元のわからないままで犠牲になり、そんな日本兵を「英霊」として顕彰する塔のことを指しています。
一見わかりずらいところでしたが、看板のあったところから道に入っていくと…
敷地の狭い中に慰霊碑や供養塔、その由来を示す解説などが点在していました。
さらにこの地は驚くべきことに個人の夫婦が主体になって作られていた、ということが説明されていました。
神社や国が主体になって犠牲になった日本兵を「英霊」として奉納する施設は全国にありますが、個人の夫婦が主体になるのは稀有な事例だと思います。
そして、これを見つけて散策した上で、和歌山の平和記念資料館を見学してより感じたのは…
和歌山の戦争の記憶継承は日本兵に絡んだものが強い傾向、
ということでした。
実は施設側に急な用事があるとのこともあり、午後から閉館するとのことだったので、長居できなかったのですが、和歌山の平和記念資料館のそばには、姫路の全太平洋戦争の犠牲者を追悼する慰霊碑を彷彿とさせる慰霊塔があり、資料館内は展示コーナーのケースたっぷりに、戦時の遺品や資料、記録が敷き詰められていました。
その資料の多くがこれまで自分が見てきたような、市民の生活に関するものよりは日本軍に出征した人たちのものだったり、かつて自分が戦争体験で聴かせてもらった「湘桂作戦」についての具体的な内容が展示されていたりと、これまでに見てきたものとは毛色が違っていました。
和歌山の前編では美術で平和、しかもアメリカで美術活動してた人がそういう発信をおこなっていた、という話がありましたが、この時に見たのは戦争自体の記憶を市民が、それも日本兵やそれに関したものや動きで発信を行なっていたという話をいろんなところで見つけることになりました。
なぜ、和歌山でこういった日本兵の顕彰のような動きが戦争体験の継承で強いのか?
これもまた新たな平和や戦争を発信するための一つのノウハウになるようですし、興味も湧きましたが、はたしてこれは「今の」日本でうまく意図が伝わって発信させるのか…平和につながることができるのか…
結構高度なものを要求されているようにも思えました。
そんな稀有な戦争体験の継承や発信を知ることができた自分は、2021年の夏、地元の愛知に戻ることに。
そこでもまた宿命じみた発見をするわけですが、それはまた別の話ということで…