あまり知られていない8月と愛知
8月15日、この日付とはこのブログなりをやっている限り、切っても切れない日付でしょう。
日本がポツダム宣言を受諾して、15年戦争が終わった日です。この月になると、どの地域でも15年戦争と絡んだ特集がいろいろと記事になったら、テレビで放送されたりしますが、愛知も例外ではありません。
が、8月かどうかを問わず、愛知ではその関心の「落差」が他の地域より極端な印象があります。
まず、1945年の、8月15日を迎えるまでに愛知は米軍の戦争における、最後のため作業かよというくらいに、空襲を受けています。
8月7日、広島に原爆が落とされた翌日にあった豊川の空襲、
8月14日、ポツダム宣言を受諾の玉音放送の前日にあった、豊田市と春日井のパンプキン爆弾という模擬原爆の投下、
がその最たるものになるかと思います。
8月7日の豊川空襲、これは戦時に建設され、東洋一の工廠と称された
「豊川海軍工廠」
を中心に狙った空襲です。
名古屋は「名古屋造兵工廠」などの、日本陸軍の工場が多くあったのに対し、豊川には日本海軍の工場が作られており、そこでは今の中学生や高校生たちくらいの子達が「学徒動員」で働いていました。
そんな場所に米軍は空襲していたのです。
しかも、広島に原爆を落とした翌日に。どれだけの破壊力を持つ兵器を使ってもなお、日本への攻撃の手を緩めなかったのでした。
ちなみにこの豊川海軍工廠は一部の敷地が
「豊川海軍工廠・平和公園」
として整備されて、当時の様子や資料、海軍工廠にあった施設の一部を見れたりできます*1。
また、8月14日、降伏の前日には豊田市と春日井市に長崎の原爆と同型の、大型爆弾・
模擬原爆(パンプキン爆弾)
が投下されています。
パンプキン爆弾には核兵器は搭載されていないものの、火薬などによって長崎に落とされた原爆「ファットマン」と同じ重量と形に施されていました*2。
そのパンプキン爆弾が春日井市にあった造兵工廠の近くや、豊田市のトヨタ本社工場のちかくに落とされたことがわかっています。
ちなみに7月末には名古屋にも同じ爆弾が落とされていて、今の名古屋市昭和区の八事第二日赤病院の近くに落ちたと言われています。
現在ではこのパンプキン爆弾は広島や長崎に原爆を投下するための予行練習だったことがわかっていますが、春日井や豊田に落ちたのはそれらの日付をとうに過ぎた、8月14日。
しかも、当時米軍は15日にはポツダム宣言を日本が受諾すると知っていた、という説もあるため、日本での原爆投下の練習のために落としたとは考えにくい…。
ならばなぜ落としたのか?それにはいろんな説がありますが、いかに戦争というのが状況に関係なく、攻撃をし続けるものかもわかるかと思います。
さて、愛知では15年戦争の関心に「落差」が大きくある、という話についてです。実はこんな催しが名古屋では行われていました。
あいち・平和のための戦争展。
これはもうすでに30年近く、8月15日の前後に木曜から日曜に実施されている企画で、愛知や名古屋で平和や戦争についての発信や活動をしている民間団体が集まって展示や講演をしている、というものです。
中では愛知の戦争についての展示だけでなく、去年から始まり今もなお続くロシアとウクライナの戦争についてや、新たに自衛隊が配備された沖縄離島や南西諸島関係についてなども展示されていました。
また、この8月には民設民営で運営されている平和資料館「戦争と平和の資料館 ピースあいち」では、戦争体験者やその語りを継承している方の語りや新美南吉に関する特別展が実施されていたり、
愛知県と名古屋市で共同運営している資料館「戦争に関する資料館」でも戦争体験者やその体験を引き継いだ家族の語りを聞く企画が行われています。
しかし、これらの情報は
「知る人ぞ知る」
という状態なのが現状です。
実際、あいち・平和のための戦争展の近くではせっかく人の集まりやすい、バンテリンドームそばの施設で展示しているのに、ほとんどの人がそこに立ち寄ることすらあまりない、関心の高い人が行くだけ、になっているといいざるを得ない。
また、ピースあいちや戦争に関する資料館での語りの催しは、年々参加者は増えているものの、参加者の話を聞くと「夏休みの宿題のため」という声もちらほら…*3。
ただ、いずれにしても
広めるべき情報が、拡散しづらい団体にばかり集まっている
という状況が愛知では目立っているように思えます*4。
いつの時代も関心ゼロを少しでも高め、まずは立ち寄る感覚でも見てもらえる、そこから四六時中でなくでも、ふとしたことで少しだけ戦争や平和のことを考える
というのができるようになれば、状況は良くなっていくのだろうけども…。
そんなことを改めて考える2023年の8月15日。