福島へ三度訪問・飯舘村の章①~フレコンバッグと共存する村・飯舘~
東日本大震災3.11からもう9年…。おそらくこの9年のうち、今年の3.11ほど状況が前年より劣化してる年はないと思われます。それは現地を見ても痛感させられました*1。
さる1月末に福島をまた訪れました。今年は飯舘村、大熊町を中心に現地がどうなっているのかを調べ、見ることを目的にしていました。
最初訪れたときは、避難指示が解除されて間もない時期*2でした。それから2年、徐々に日常生活を送れるようにと戻りつつありましたが、復興しているかと言われればそう言いきれない部分もあり、なんともいえない気持ちになりました。
まず、この飯舘村の新たな姿として見ることが増えたこの話から。
「フレコンバッグ」です。知らない方もいると思うので、簡単に。
「フレコンバッグ」というのは放射能汚染した廃棄物を詰めたものを指します。そして、その「フレコンバッグ」が飯舘村に集められて写真のようになっています。
では、なぜ飯舘村に保管されているのか?
飯舘村はかつて「美しい農村地帯」と呼ばれるほどの農村地帯でした。しかし、福島原発事故が起こって放射能汚染が発生した時に、その発覚が遅れてしまい、住民の避難が遅れた地域になってしまいました。その避難がされた後、放射能汚染により、農業をすることができないとわかったことで、この飯舘村は一転してフレコンバッグの保管地として名乗りを上げることになりました*3。
そのことは2年前に初めて福島に行った際にも知りましたが、今もなお保管されていることにも驚きました。が、何より驚いたのは、避難解除されて、住民が生活しているにも関わらず、「フレコンバッグ」の運搬がされていることでした。
放射能汚染の廃棄物である「フレコンバッグ」を、住民が生活をしているそばで運ぶ作業をしている…。この不安やリスクは大きいものがあると思います。
当該地域に不安やリスクを押し付けるというのは、これまでの日本でも行われていることです。沖縄の辺野古基地問題、大阪や熊本の震災被害、広島や岡山の豪雨被害、千葉の台風被害…。それが福島でも押し付けられているようです。
今の日本では被災したり、事故を、他人事で済ませる、想像力の欠いたことが多いような気がします。まあ、政治やらがそれを率先してるからすべてが、とはいかないですが…。
また、今回の飯舘村ではこんな話も聞きました。
上の写真は、避難したことで住民が面倒を見れなくなったペットの犬を集めて面倒を見る小屋「福光の家」というものなのですが、この写真を撮っている時にこの施設を管理している女性に出会いました。その女性はわざわざ山形からここまで単身訪れてはこの小屋の犬の面倒を見ていると話されていました。そして、その際に「被災してからの報道で、人の変わりようが酷くて怖いよ」との話をされていました。
もともとこの「福光の家」は、まったく別の人物が、「避難したことで面倒見れないペットを一括してみよう」*4ということから始めたそうです。しかし、この志は、マスコミで大きく報道されたことで薄れ、いつの間にかこの小屋の運営が「被災された人やペットのため」から「自分の善行アピールのため」にすり替わり、運営も雑になっていくことに…。それに嫌気のさした、女性が管理をするようになったとのことでした。
これもまた被災地で起こった負の部分だなと思います。もともと善意で行なっていたことが、マスコミなどによって目的がすり替わり、自分の欲望を満たすための物になっていく…。
こういうところでも人の本性が出てくるんだなと痛感しました。
飯舘村の復興についてはまったく復興できてないわけではないが、復興は遠いことを痛感することを見せつけられました。その話はまた次回に。